


私は小学校の頃から
常にテストでは100点ばかりをとっていました。
100点でなくてはいけなくて、
絶対にトップで居なくてはいけなくて、
80点なんかだった日には、親にド叱られたものです。
反対に私の弟は
いつもテストは0点でした。
たまに選択問題がカンで当たって10点とか
だから30点もとった日には
親にはベタボメ、祖母にはこづかいをもらい
「えらいね、よくがんばったね」
そう言われて人々に愛され、
感謝する心を知りながら育ちました。
そしてまた運動神経が抜群、
将来の五輪常連選手とも互角以上にスポーツができ、
運動会や部活でひっぱりだこ
クラスでも人気者でした。
私は体育は全くダメ、運動会はトイレに隠れ
マラソン大会は途中でバックレて喫茶店
自分のみっともない姿をさらしたくなかったのです。
当然、協調性はゼロ。
友達はごくごく限られた小数でした。
授業をロクに聞いてなくて宿題を全然やらなくても
常に100点、トップであり続けられた私は
そのことを鼻にかけ、教師や大人に嫌われて育ちました。
体育できなくても、保健体育の筆記試験はトップ(笑)
「私がトップなんだから、いいじゃん?」と
社会に出て、コンピューターの仕事を覚え
これがまた私の性分にぴったりだったのです。
大企業のソフト開発チームと競っても勝ててましたし
私がいなければ会社は一日たりとも成り立たないと言われ
本当に天狗になってました。
それが・・・です
体調をくずし、100%の仕事ができなくなった時
30台なかばを過ぎて、プログラマーとしての引退の時期を迎えた時
ものすごい挫折感を味わいました。
私にとって、100点でなければ0点だったんです。
99点じゃだめなんです。
80点なんかだったら死んでしまえだったんです。
そんな頃に出会ったのが、格闘技でした。
私にとっての格闘技の世界は、
私の弟の子供時代のように、
0点で当然、
必死でがんばって30点もとれば
みんなに思いっきりほめてもらえるような世界だったんです。
負けて当たり前
でもがんばれば勝てるかもしれない
勝つことを期待されてない、
でもみんなが私を応援してくれる
負けてもほめてくれる、仲間が居る、
本当に幸せで信じられない。。。
そんな風に考えられるから
弱くても続けていけるんですね(^ー^b
弟のほうですが、
成績が常に最下位だったにもかかわらず
教師に愛され、「なんとか入れてやりたい」と
高校大学とすべて推薦入学(しかも法学部)
愛知の栄光、トヨタ自動車に就職したのですが、
特に祖母に可愛がられて育ったことから
「お年寄りのためになりたい」と
親の反対を押し切って突然辞職
(しかも生まれたての子供が居るのに)
老人ホームでヘルパーの仕事をはじめました。
さらに「ヘルパーにできることは限界がある」と
今は夜学の看護学校に通っています。
なんとそこで成績がトップなんだそうです。
母は混乱してこう言っています。。。
「勉強ばっかで運動まるでダメだったアンタが
今は格闘技みたいな、スポーツでも一番厳しいのに専念してて、
勉強まるでだめでスポーツだけがとりえのリュウジ(弟)が
医学の勉強して看護学校といえ成績トップなんて・・・
あんたら人生逆転してない?」
写真は本文とは関係ありませんが
試合会場で買った
”キラ”、、じゃなくてキーラ・グレイシーTシャツです
(チビTでかわいい♪)
それにしても、デスノートのキラって”Killer”からきてるのに
なんで”KIRA”なんでしょ??