2/26 部屋とリングスと私

2/26 部屋とリングスと私

2005-02-26

 

タイトルにあんまり意味はないのですが・・・(^^;

 

私が初めてであった”ナマ格闘家”は前田日明さんでした。

 

まだ「格闘技?何?」という時に、
マニアの方によると、第2次UWFの頃だそうです。

 

当時の仕事の接待を通じて、2度ほどお会いしました。
「とにかくそそうのないように!」そう申し付けられて。

 

場はいつも前田さん中心にピリピリモードでした。

 

いまやモンスター軍総帥であられる
高田延彦さんもいました、
はじのほうで静かにちびちびと飲んでらしてました。

 

たくさんのレスラーの方がいましたが、
私が顔を知っているのはその2名くらいで、

 

あと、船木誠勝さんは当時女性人気ナンバーワンだったのですが
いなかったなぁ、というのは覚えてます。

 

誰か、若手の方が、カラオケで
『タイガーマスク』の歌を歌い
場が凍り付いて、
その方が前田さんに土下座して謝っていたのを覚えています。
(当時はその意味もよくわかりませんでした)

 

・・・あれ、誰だったのかなぁ・・今の私ならわかるのになぁ・・・

 

UWFはその後分裂、前田さんはリングスを旗揚げしました。

 

・・・時は流れ。。。

 

私はアーツに出会いました。
アーツも、初来日の試合はリングスだったんですね。

 

前田さん対カレリンが見たくて契約したWOWOW、
そしてリングスKOKトーナメント開催、
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの優勝を見て、

 

なんてすごいんだと感動しました。
しかし突然のリングス休止。。。

 

WOWOWは解約しました。
そしてリングスKOKルールは、
軽量級選手による『ZST』という新しい団体として復活しました。
(ということも知ったのはずっと後のこと。。)

 

ピーター・アーツ離脱後、彼の所属ジムだったチャクリキが、
リングスオランダと合体してパンクラチオンというジムになりました。

 

そしてZSTはじめてのグランプリトーナメントに
私の入門した当時の道場仲間であり先生であるTAISHOさんと、
パンクラチオンのメノー・ディクストラが出場

 

さらに翌年はそのグランプリの第2回大会で
選手のセコンドにもつきました。
(こんな経験は二度とないでしょう・・・)

 

翌月行ったオランダで、
アリスター・オーフレイムの横にいた少年、
彼はエメリヤーエンコ・ヒョードルの付き人でした

 

ヒョードルも、リングス出身ですよね。
私は『クリスドールマン?名前は聞いた事あるけど』
・・・状態にもかかわらず
リングスオランダにいきなり体験入門

 

はじめてつけるオープンフィンガーグローブ、
しかもZSTグローブ
地元オランダの巨漢(平均身長190センチ体重110キロ)たちと
『なんでもあり』の殴り合いをやってきました。

 

もーなんにもリングスの知識なんてないのに
私の周りにはリングスで満ち溢れています。

 

なんなんでしょーね、、この縁は・・?
オランダを去るとき、

 

ドールマン氏の息子さんミロン君
(2メートル15センチくらい体重140キロ以上はあり・・
 なのに大人しい性格なので格闘技はやらずジムの喫茶店に勤務)
と娘さんのシャローンさん(美人)に

 

「もしもミスター・マイダに会うことがあったら
 どうかどうか宜しく言っておいてね
 彼には本当に良くしてくれたの」
と。

 

ドールマン先生も
「マイダは本当にナイスガイだよ」
ずっと緊張感ある厳しい方だというイメージがあったので、
ちょっと意外でした。

 

私が前田さんに直接お会いするようなことは
ちょっと今は考えられないのですが

 

狭い格闘技界
いったいどこで誰がつながってるかわかりませんね。。。

 

今日の写真はドールマン先生と、
(私の身長は169センチです)
2メートル130キロの彼とスパーリングしたときは
のしかかられただけで呼吸不能のタップでした。

 

リングスオランダ体験記は
またいつかの機会に・・・